アロガント級の戯言。

思ったことを書くだけ。

RTA 競技性とエンタメの狭間で

 RTA in Japan が各種ネットメディアで取り上げられ、RTAという「ゲームの遊び方」に注目が集まる昨今。

しかしながらRTAはこの2・3年で生まれたものではないし、私自身の話をすれば、第2回DQRTA駅伝は確実に見ていた記憶があることから、11年近くRTAというものを追い続けてきている。

そんな老害が気になっているのは、RTAというものが"競技性"と"エンタメ性"の狭間にあるということだ。

今回は主にニコニコ界隈におけるRTAを取り上げ、ジレンマにあるRTAについて意見を述べたい。

 

 まずは筆者のRTA経歴について。

公の場で走ることは2012年に始め、まもなく世界記録を奪取。あるひとつのシリーズのRTAを究め世界でも唯一の存在を自負する、RTA走者8年目の立派な老害

そんな私の、RTAに対する姿勢というものはこちらに詳しい。筆者にとってのRTAとは、自身が考えて組み立ててきた戦略・戦術・チャートを発表する場であり、定期的に迎える研究発表会のようなものと考えている。

 

 さて、そんな筆者が「障る」と感じているのが、ニコニコ動画におけるRTAで流行している各種の文化走りの中で失敗・タイムをロスした箇所を「ガバ」と表現し、それがあることを許してほしいという旨を面白おかしく書き、視聴者に笑い所を与えコメントを稼ぐ。また、そのミスが存在することで「更新余地を残す走者の鑑」と囃し立てる風潮。加えて、無関係な文化を過度に押し出す編集によるミーム汚染。これらは昨今のRTA界にエンタメ的な革新を以て受け容れられ、瞬く間に知名度を得て今でも個人配信レベルでも見かけるようなものとなった。

 しかしこれらは、いわゆる「戦略至上主義」であった旧来のRTAの思想との乖離があるのではないかと思うとともに、自身が戦略至上主義的な作品を扱っていることから非常に気に障るものである。
(旧来のRTAは戦略至上主義であったというのは、RTA Play! さんのこの辺から。)

 なにも、そういう動画を投稿するなというわけではない。タイマーをつければRTAになるという、参入の気軽さを批判するわけではない。筆者が俎上に上げたいのは、旧来の実績を無視した上で、上述のような編集を施した戦略として未熟なRTA動画が人気を博すような事例である。

 実際の動画を例示するのは投稿者様に迷惑がかかるため避けるが、戦略が究められており、その作品のRTAを競技として行っていた第一人者による動画が約7000再生。対して、その記録から5年以上の時が経って投稿されているのにも関わらず25分近く遅れを取っている動画は15万再生を超えている。

前掲の RTA Play! さんの記事には『個人の連打速度によりタイム差が発生するのは戦略至上主義であった当時においては許されざることだった』という旨の記述があるように、RTAは優れた戦略を披露し良いタイムを出した者が評価されてほしい・評価されるべきと考えている筆者にとって、この状況は歪んでいるとしか思えない。

古来よりニコ生で人気のある『スーパーマリオ64』のRTA界隈では、彗星の如く現れた実力者B氏のコミュニティに同作品をプレイする生主が挙って参加し、そのポテンシャルに惹かれ次々と視聴者も集まったことからB氏は一気に大物となった。また、それより前に界隈を牽引していたy氏とs氏のRTA対決には多くのリスナーが詰めかけたそうだ。『ドラゴンクエスト』シリーズにおいても、知識量が当時の走者と比肩か超えるほどのそれを持つ新人s氏に大きな注目が集まったこともあった。

このように、古きRTA界隈では純粋にタイムが期待される生主の元のリスナーが集まり、現在も根強い人気を誇るコミュニティへと成長していった。これにはRTAにおける「競技性」…スポーツと同様に「強い」「実績のある」人間の元に聴衆が集まっていくという形が如実に現れていた。例えるなら、渋野日向子選手に対し、「全英オープン優勝」という「実績」がついた瞬間に日本国民が注目していった姿と同じだ。

 しかしながら近年のニコニコ動画におけるRTAは、一種のテンプレートに乗っかりスラングを多用した編集だけで、前述のように未熟な走りのものが注目を浴びる事例が多すぎる。ここまで述べてきた有力プレイヤーの台頭とは全く異なり、実力ではなく編集力…エンターテインメント性が評価されるようになってしまった。

過去に TAS 動画における「実機プレイのガチ勢の劣るようなものはいかがなものか」という論争を経験してきた身でもあるため、(言葉は悪いが)記録として劣る過度な編集つきの動画が有力者の動画より人気を得るのは納得がいかないのである。

 

 お前の論には1つ大きな穴があるだろう?

そのとおりです。プレイヤーが評価された旧来のRTAはニコニコ生放送における歴史で、編集が評価される現在のRTAはニコニコ動画におけるもの。

ですが、動画におけるRTAの文化が一定数以上、生配信及び、過度な編集を施されていない動画にも流入している状況は最早動画だの生放送だので無視出来るものではないと思います。旧来のRTA界隈における動画はどうなのかという部分は、一例として XAvive 氏の当時世界記録だったルイージマンションRTA動画は、投稿段階及びある程度の後世でも大きく評価されたものだと認識しています。

 

 つまるところ、昔のようにタイムが評価されてきたRTA界隈は「タイム=競技性」が重視されていた世界で、現在のように魅せることに重きが置かれているそれは「編集=エンタメ性」が押し出されているものになっているということ。

何度も言うがエンタメに振った動画を投稿するなというわけではない。私がそういったものに注目が集まるのが納得いかないというだけだ。ましてやクリエイター奨励プログラムでスコアを貰えるような作品だったら尚更だ。実力者が評価されてきた歴史を見てきた老害としては、編集がきらびやかなものより早いタイムを持っている走者のほうが評価されてほしいのだ。

 はじめに述べた RTA in Japan では走者の様子も配信される関係上、そのカメラに向けてパフォーマンスを行う走者もいる。それはそれで「ストリーミング配信を意識したエンタメ」で良いと思うが、当該のイベント自体は、過剰な編集をつけている動画勢のような存在をあまり匂わすものではないと感じられる。競技性とエンタメ性の中間で絶妙に成り立っているイベントであるということを認識させられるとともに、戦略が重視されてきた競技性の強かった時代の生き残りは、動画・生配信における RTA との付き合い方を考え直さなければならない局面に来ているのかもしれない。